日々考えていること

よみやま洋司は「歩く『お困りごと相談所』」です。
よみやま洋司は「よろず何でも相談所」です。
 
介護、福祉、医療、教育、子育てなど、皆様のお悩み・お苦しみをご相談下さい。
よみやま洋司は一緒に悩み、一緒に苦しみ、そして一つ一つ解決します。
延岡にもどってからの5年間、行政書士として、多くの方のお困りごと・お悩みごとの解決や、地方企業の皆様の課題解決などのお仕事をしてきました。
 
不安、お悩み、お苦しみを抱えておられる方、夜中でもかまいません。
いつでもお電話下さい。ぜひともお役に立たせて下さい。
 
 
・・・・2017年1月2日の街頭演説より

世の中のために立ちたい・・・・10歳の少年の「原点」

10歳にして政治を志す

私は工業都市延岡で育ちましたが、今思いますと10歳の時に起きた出来事により、今の「政治を志す原点」が出来ました。
 
1つは、オイルショックでした。
オイルショックは、
「父の勤める会社(注:旭化成)が倒産する!?」
という危機的状況でした。
私の家の前の広場で、多くの人達が鉢巻をして座り込み、ストライキをやる。その皆様方の深刻な表情が、今も脳裏に焼き付いています。
 
そしてまた丁度同じ頃、水俣病に端を発する公害問題が、延岡でも大きな問題となりました。
元々チッソという会社と旭化成が同じ会社だということもあり、
「排水に有機水銀が入っているのではないか?」
と。
特に私の父が工場長を務める薬品工場が、排出元ではないかと疑われていました。
 
オイルショックに関し、会社の方々が連日我が家を訪問。また公害問題に関しては地域の方々が来られ、父と話していました。
今までのお客様方とは異なる、言い争いになるシーンにおいて、父が小突かれたり叩かれたりする様子を見ました。
 
子供にとって、父親というのは大きな存在です。その大きな存在が他人によって小突かれたり叩かれたりし、しかし何の抵抗もしない。子供ということで意味はわからないながらも、大変なショックを受けました。
 
 

自分も世の中のために立ちたい

そういう状況の中で、
自分も世の中のために立ちたい
「みんなが平和で安心して暮らせるような、そんな世の中にするために、自分も役に立たんといかん」
と思うようになりました。
 
その気持ちは、今も何ら変わっていません。

中央そして地方の「両方を知る」機会を得る

自治省に入省

就職先を選ぶ時期が来た時、延岡の出身者として、
「地方が栄えてこそ、日本が栄える」
日本が栄えるためには、それぞれの地方が栄えなければ、栄えたことにならない
という信念をずっと持っていましたので、そんな仕事ができる職に就きたいと考え、自治省(注:現在の総務省)に就職しました。
 
以来26年間、地方の発展に関する様々な法律を作ったり、様々な制度を作るといった経験をさせて頂きました。
 
そして時々、地方自治体の現場にも行かせて頂き、自分達が作ってきた制度を使って地域振興の実践も行う。実践を行うことで、東京の霞が関、永田町で考えられた制度がいかに地方の実態に合わないか、それがわかる
そしてまた東京に戻って自ら制度を変える。直す。或いはまた新しい制度を作る。そのような仕事ができる。そういう点で、自治省に就職してよかったと思う場面が何度もありました。
 
しかし時を経るごとに、段々地方の現場の声と東京の政治の実態が合わなくなってきている。合わなくなってきているのに東京で仕事しなければならない。そういう「公務員としての仕事の限界」も感じました。

ふるさと延岡のために頑張りたい・・・・

目の前の人々のために

故郷延岡に戻り、同級生から言われたこと。
「東京からいきなりポンと帰ってきて、偉そうに『政策はこうあるべき』と言っても、誰の役にも立たんじゃないか」
 
気付かされました。
「目の前には、『子供を殺して私も心中する』といった(切羽詰まった)人達がたくさんいる。偉そうなことを言う前に、そんな目の前の人々のために自分の出来ることを精一杯やる
そういうことを積み重ねた後に、政治だとか選挙だとか、その時に初めて考える」
 
そこで自らの頭の中からいったん政治、選挙を消しました。
 
厳しい経済事情の中、自ら会社を興し、ふるさとに雇用の場を作り、1円でも多くふるさとの所得を上げよう。
そして1人でも多く県外から人を呼んでくる。そんな事業をやろう。・・・・

そう考え、同級生と一緒にベンチャー事業「こどもーる」を興しました。
こどもの学びや子育て支援、いじめ、不登校対策や子供の居場所作りなど、民間企業としてやる会社を立ち上げ、以来、中小事業者として宮崎の厳しい経済事情の中で走り回る日々を過ごしております。